氏名のリストについて
記念碑のパネルに刻まれた氏名のリストは、長年にわたる研究の成果である。この一覧は必ずしも完全なものではないが、プロジェクトチームは情報の収集と検証に多大な努力を重ねてきた。
このページでは、研究の過程を詳しく紹介するとともに、研究チームが直面したさまざまな制約や困難について説明している。
当初の資料
このプロジェクトは、1940年代の日系カナダ人に対する大規模な財産・土地の没収という困難な歴史に向き合うことを目的とした、Landscapes of Injustice(ランドスケープ・オブ・インジャスティス(以下、LOI))プロジェクトの研究成果を基盤として始まった。LOIのアーカイブチームは、カナダ国立図書館・文書館から入手した「敵性外国人資産管理局」のケースファイルをデジタル化されたマイクロフィルムに含まれる資料から、データベースを作成した。強制移動の時点で16歳以上だった日系カナダ人には、全員にケースファイルが作成されており、そのほとんどがマイクロフィルムとして残っている。12019年から、LOIチームはこれらのファイルを調査し、基本的な情報を収集して、ケースファイルが存在する一人ひとりについて、メタデータ記録と短い略歴を作成しました。この情報は、ケースファイル原本とPDFとともに、2021年に初めてLandscapes of Injustice Archive(LOI アーカイブ)で公開され、その後、訂正を加えながら数回にわたって再公開されている。
ケースファイルには、いくつかの問題点がある。重要な情報の大部分は、敵性外国人資産管理局が作成した書式と、連邦警察が作成したレポートものに記載してある。これらの書式は、関心の高さ、注意深さ、能力が様々な担当官が記入しているため、詳細の記載内容の一貫性に欠ける;同じ氏名が異なる綴りで記載されているほか、家族の情報が欠けていたり、詳細に一貫性がない。また原資料が破損、欠落していたり、撮影状態が悪い状態のもある。最も重要なことは16歳未満の子供達には個別のケースファイルがない;子供達に関する情報は、両親のファイルにのみ記録されている。子供達に関する情報も、欠けていたり、記載内容に一貫性がないことが多い。例えば、母親のファイルと父親のファイルで、子供達の記載内容が異なっている場合がある。
ケースファイルに記載されているものの、強制移動の対象とならなかった人々(指定区域外に居住していた、または開戦時に日本在住の人々)は、含まれていない。
記念碑プロジェクト研究
2023年後半、JCLS(日系カナダ人歴史遺産協会)が支援する記念碑プロジェクトは、1942年にブリティッシュ・コロンビア州の自宅から強制移動させられた全ての日系カナダ人の一覧を作成する作業を開始した。第一段階は、LOIアーカイブの網羅的な調査を行った。チームはLOIアーカイブのメタデータを入念に検証し、修正した。ブリティッシュ・コロンビア州の修正済みデータを調査の基盤とし、新たな研究をを行い、LOIアーカイブのデータを検証、修正、補足を行うとともに、すべての子供達において新たな記録を作成した。
公的記録およびNikkei National Museum&Cultural Centre(日系文化センター・博物館:NNMCC)から追加の名簿を入手し、チームは各名簿を検索可能にするため、その文字起こしを開始した。これらの名簿は公式のものではなく、強制収容所の住居者または元住居者が作成したものが多い。これらには、第101号アングラー捕虜収容所、ベイ・ファーム、イースト・リルエット、グランド・フォークス、グリーンウッド、カスロー、レモン・クリーク、ブリッジ・リバー、ニュー・デンバー、ポポフ、ローズベリー、スローカン、タシメ、そしてオンタリオ州の砂糖大根農場からの名簿が含まれている。複数の名簿は、Audrey Kobayashi氏が作成したデータベースから得られたものであり、もう一つの名簿はTom Yanagi氏がベイ・ファーム、ポポフ、スローカン、ブランドン、レイクビュー、そしてジョンソンについてまとめたものである。重要な点として、これらの名簿は身元確認のためだけに使用されたものである;強制移動させられた人々がどこへ送られたのか、その行き先を記録することは、記念碑プロジェクトの対象範囲には含まれていなかった。チームの任務は、記念碑に氏名を刻まれる資格のある人々を特定することであり、これらの名簿に記載されている人物は全員が対象となった
チームはカンバーランド、ディープ・ベイ、ロギング、マーポール、マヨ・パルディ、そしてユークルエレット等の、戦前から存在していた地域の人々の名簿を文字起こしした。また、これらの名簿は不完全なものではないが、氏名を確定する補足的な情報として役立った。
Canadiana Héritageのウェブサイトの掲載されている名簿を利用し、チームは1万人を超える氏名と情報が記載された送還者名簿、および1946年に約4,000人の日系カナダ人と日本国民を日本へ乗せた船の乗船者名簿を文字起こしした。
さらに同チームは、氏名の綴り、生年月日、没年月日、その他の不明点を解決するため、Ancestry、Find a Grave、Newspapers.com、BC Archives、その他の公開情報源を元に参照してきた。
研究チームは、チャン・コレクション所蔵の1941年版の名簿「加奈陀那人々名録」を文字起こしした。これはバンクーバーを拠点とする、コンチネンタル・デイリー(Continental Daily)の発行元である大陸日報社編纂によって1941年に刊行された、カナダ全土の日系カナダ人を収録した名簿である。この作業には、家長の氏名と出身都道府県の翻訳、および1941年に居住していた住所の文字起こしが含まれていた。日本語の漢字には複数の読み方があるため、すべての情報の文字起こしは未完成であり、多くの氏名について2つの候補が示されている(例:Toyota/Toyoda)。
2023年初頭、チームは連邦政府のリドレス(戦後補償運動)の記録への閲覧について、カナダ国立図書館・文書館との協議を開始した。2ヶ月以上のにわたり協議を経て、プロジェクトは厳格なガイドラインに従うことを条件に、閲覧の許可が得ることができた。チームメンバーは、各記録からあらかじめ定められた項目の情報のみを収集することを許可されており、毎日の作業終了時には、情報アクセス・プライバシー(Access to Information and Privacy:ATIP)担当官がデータを確認した。
プロジェク・トディレクターのMichael Abe氏と研究アシスタント4名はオタワに7週間滞在し、1万9,000件のリドレス記録から特定な情報を得るために、フルタイムで作業に従事していた。この情報収集により、チームは、強制移動から1949年3月31日の制限解除までの間に生まれた人々を追加パネルに記載できる名簿を作成することができた。
また、ビクトリア大学(UVic)の日系カナダ人の学生のチームは敵性外国人資産管理局の記録を文字起こしをはじめた。インデックスカードのスキャン画像の多くは解読できなかったため、この作業にはかなりの時間を要し、現在も完全なものではない。このコレクションは、Canadiana Héritageのウェブサイトで閲覧できる。
研究チームは、各個人について得られたすべての情報を、Master Consolidated List(以下、MCL)にまとめた。MCLでは、情報源ごとに1行を割り当てた。最終段階では、1人につき4~5行の情報が記載されることもあり、チームは共通する情報を比較することで、記念碑への記載対象となる資格を確認し、氏名の綴りを確定し、その人物の出身地を確認することができた。
記念碑のデータセットの最初の校正が閲覧可能になった段階で、チームは日系カナダ人コミュニティのメンバーに、親族に関する情報を確認してもらうよう呼びかけた。その後、コミュニティのメンバーから研究チームに連絡があり、記録に含まれていなかった家族を特定、氏名を訂正し、抜けている氏名を提供してもらった。更新された内容は、研究チームによって確認し、記録された。
チームは、アルバータ州、オンタリオ州、およびバンクーバーのパウエル・ストリート・フェスティバルでの意見交換会を通して、コミュニティとの積極的な交流を開始した。データセットへのアクセス方法については、The BulletinおよびNikkei Voiceで告知し、カナダ各地のコミュニティにも情報を共有した。そのほか、レスブリッジ、カルガリー、エドモントン、日系祭り、モントリオール、オタワ、ハミルトン、トロントでも意見交換会を開催し、多くの場所では2回以上の意見交換会が行われた。
意見交換会は2023年6月1日から9月30日まで行われ、開始から2週間で200件以上の意見が寄せられた。研究アシスタント全員が、メールを通じたコミュニティとのやり取りに携わり、その内容を慎重に記録するとともに、MCLを更新した。2023年9月末までに、チームには合計630件の問い合わせが寄せられた。
当初の意見交換が終了した後、研究者たちは10月と11月に、寄せられたすべての意見への対応を行った。JCLSは2023年11月14日に、記念碑のデータセットを一般公開した。主要な作業は2024年2月に完了したが、修正と情報の照合は2026年まで続いた。
強制移動された場所
日系カナダ人が主に強制移動させられた場所は、沿岸部全域に及び、内陸部へは100マイル(約160キロ)まで広がっていた。さらに、「保護区域」も設けられ、特に米国との国境に接する本土のクランブルックやネルソン周辺に設置された。日系カナダ人は他の場所からも強制移動させられた。例えば、カムループスには保護区域が設けられた。3
氏名の一覧は、一次資料の分析に基づき、強制移動時に居住していたと考えられる場所ごとにグループ分けされている。このように整理することで、ブリティッシュ・コロンビア州各地に広がる日系カナダ人コミュニティの規模と広がりが表すことができる。沿岸部から内陸にかけて、数百のコミュニティが存在し、その多くは数百人の人々で構成されていた。しかし、労働の関係により頻繁に移動していたため、強制移動前の最後の居住地として記録されている場所が、生涯の大半を過ごした場所とは限らない。男性は遠隔地で働くことが多く、その一方で、家族はバンクーバーのパウエル・ストリートなど、より中心的な都市部に住んでいた。家族と同じ場所から強制移動させられたと記録した場合、家族全員が同じ記念碑のパネルに記載されることになる。しかし、そうすることにより、遠隔地における日系カナダ人コミュニティの存在や重要性が十分に反映されなくなってしまう。そのため、チームは、各個人について、最後に居住していたと記録された場所を強制移動の場所として選択することとした。
ケースファイルには住居地が様々な方法で記録されており、それらを区別するのが難しい場合もあった。例えば、ある記録には「Skeena River」と記載されている一方、別の記録には「Skeena」と記載されている。もちろん、川は一つの場所ではなく、「Skeena」という名称の集落も存在しない。この2つの「場所」に違いがあるかどうかは明確ではないが、スキーナ川流域全体には、漁業や缶詰工場で働く日系カナダ人が数百人暮らしていた。同様に、ある人物については、強制移動された場所が「Jedney」と明確に記録されている。しかし、現在「Jedney」と呼ばれている場所は、その男性の職場先から1,000キロメートル以上も北に位置している。おそらく、聞き取りを行った人物が「Dewdney」を「Jedney」と聞き間違え、それを誤って記録したものと考えられる。それでも、記録には「Jedney」と記載されており、その名称の集落が存在していなかったとは断定できないため、チームはこの表記をそのまま残している。
注意事項と制約
前述の通り、多くの一次資料には誤りや表記の不一致が含まれている。これらの記録は通常、日本語の氏名や文化的習慣にあまり馴染みのない英語が母語である者によって作成されたためである。その後の調査により、一部の誤りは修正され、曖昧な点も明らかにはなっているが、氏名の一覧位は依然として誤りや記載漏れが残っていることは避けることができない。
氏名はなぜローマ字表記なのか?
記念碑パネルに記載されている氏名と、ウェブサイトに掲載されている氏名は、すべてローマ字表記であり、は「ひらがな・漢字」での表記はされていない。これについて、二つの理由が挙げらる。一つは記録に記載されているのは日系カナダ人のカナダにおける法的な氏名であり、したがって関連する全ての一次資料に記載されている氏名もローマ字表記であったためである。第二に、氏名の日本語表記を確認する資料がほとんど残っておらず、信頼性のある資料がなければ、個人の氏名が実際にどの漢字で表記されていたのか判断することが難しい。例えば、姓の「Nagamori」は、永守、長森、永森、永盛、または長盛などと表記される可能性がある。4また、1940年代には日本語をローマ字で表記する方式が複数使われていたため、ラテン文字で記録された氏名をひらがなに変換するだけでは、正確な日本語表記を特定することは難しい。特に、長音と短音の区別は重要であるが、記録を記入した英語を母語とする者には聞き取れなかった李、無視されることが多かった。
氏名の日本語表についてさらに詳しく調べたい方は、参考とな情報が得られる日本語名の名簿が二つある;一つ目は、1941年にバンクーバーを拠点とする「コンチネンタル・デイリー」(Continental Daily)の発行元である大陸日報社編纂が発行した、カナダ全土の日系カナダ人を収録した「加奈陀那人々名録」である。この名簿LOIアーカイブでPDFとして閲覧でき、一部が文字起こしされている。二つ目は、1941年6月の「ビーシー州日本人」である。この名簿もLOIアーカイブで閲覧ができ、バンクバーのパウエル・ストリート周辺を指す「にほんまち」(Nihonnmachi)、ヘイニー(Haney)、スティーブストン(Steveston)の各項目について、それぞれ一部が文字起こしがされている。ただし、これらの名簿には家長や事業主のみが掲載されていることが多いため、確認でける氏名は全体の一部に限られ、これから確認できる氏名は、男性の氏名に大きく偏っている。
Footnotes
1. 1.マイクロフィルム1巻が紛失または破棄されたため、一部ケースファイルを閲覧することができない。
2. 2.E. M. Adams & J. Stanger-Ross, Challenging Exile(Vancouver: UBC Press, 2025), 57ページの地図を参照。
3. 3.1943年7月8日付の「Kamloops Sentinel」紙には、カムループス全域ではなく、その一部の区域のみが保護区域に指定されたことを明確にする記事が記載されている。記録には、カムループスから強制移動させられた人物が複数含まれている。
4. 4.P. G. O’Neill. Japanese Names (New York and Tokyo: Weatherhill, 1972)を参照。